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図鑑No.40 多摩

公開日: : 最終更新日:2013/12/19 艦娘図鑑

艦これ 図鑑No.40 多摩

球磨型軽巡洋艦の2番艦「多摩」。

艦名は多摩川から。

進水:1920年

全長:162,15m

全幅:14,17m

速力:36ノット

CV:佐倉綾音

 

台詞等から見る史実

猫のような名前から、艦これでは「にゃ」が口癖の軽巡。

クマとタマときて、次も・・・と思いきや3番艦はキタカミである。

 

建造されたのは三菱造船長崎造船所(現:三菱重工長崎造船所)。

武蔵日向霧島川内などもここで建造され、現代でも「こんごう型」「あたご型」護衛艦の建造を多数している由緒正しき造船所。

つまり多摩も血統書付きなんだにゃ。

 

 

戦争中は第5艦隊第21戦隊に所属。レイテ沖海戦での動員までは主にアリューシャン・千島・樺太方面で哨戒任務などに従事していた。

そのため以前の戦歴はあまり目立ったものがなく、そもそも記録自体があまり残っていないとか。

ちなみに北方海域での活動に際して、多摩と木曽は北海道で白色の迷彩塗装がされてから哨戒活動などに従事した。

 

また、有名なキスカ島撤退作戦に参加している。

1回目の出撃で突入断念した木村艦隊の「督戦」としての参加であったため、映画や本などでは省略されていることも多く、意外と参加していたことを知られていない。

「督戦(隊)」とは自軍を後方より監視し、敵前逃亡などをしないようにさせるための部隊のこと。

 

レイテ沖海戦では、囮艦隊に加えられた。空母の攻撃を受けて大破し戦線を離脱。

護衛艦がいずれも損傷を受けた空母の護衛を要請されたため、多摩は大破状態で単独で航行することに。

ルソン島の北東で米潜水艦「ジャラオ」(SS-368)に発見され、魚雷を受けて爆発。

船体は二つに折れて沈没した。

 

 

ちなみに21戦隊での僚艦は「木曾」であり、球磨とパートナーではない。

なんというか凸凹コンビである。

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