図鑑No.5 雪風
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最終更新日:2013/12/16
艦娘図鑑
陽炎型駆逐艦の8番艦。
当時の最新鋭駆逐艦であった、朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風の計50隻の中で唯一終戦まで生き残った駆逐艦。
ついたあだ名は「奇跡の駆逐艦」
進水:1939年
全長:118,5m
全幅:10,8m
速力:35,5ノット
CV:藤田咲
台詞等から見る史実
雪風で有名なのはやはりその幸運エピソード。艦これでも「運」の値が60とずば抜けた数字で再現されているため、耳にしたことのある人も多いのではないだろうか。
ミッドウェー、第3次ソロモン海戦、レイテ沖海戦など主要な海戦のほぼ全てに参加しながらも、そのほとんどを無傷で帰還。
幾度か砲弾などの直撃を受けるも不発、機雷に接触するも回数機雷であったため爆発せず(直後にいた初霜が接触して起爆し大破している)といった幸運エピソードも多い。
もちろん「ただ運が良かった」というだけではない。毎回生き延びて帰ってくることでの乗員の錬度向上や最新鋭の装備(実戦データを取るために帰って来れそうな艦に優先配備された)などの裏打ちがあってのもの。
「ううん、奇跡じゃないんです」という台詞はそういった意味で言われ、当時の乗員達の腕前を讃えているものだと思う。
一方で、次々と僚艦が沈んでいく激戦の中、雪風だけが毎度無傷で残っていることから、周りの運を吸っているんじゃないかと気味悪がられることもしばしば。「死神」と呼び嫌った兵も結構いたらしい。
特に随伴した護衛任務ではその死神っぷりがヤバイ。
比叡の護衛任務では比叡が沈み、信濃(大和型の3番艦)の護衛をすれば信濃が沈み、武蔵を護送すれば武蔵が沈み、金剛を護衛すると金剛が沈み、大和を護送すると大和が沈んだ。
特に雪風のせいではないのだが(信濃の例なんかは明らかに信濃側の判断ミス)、「死神」と呼ばれてしまう理由も頷ける。
数多くの僚艦の沈むところを見てきた雪風だが、艦これにもこれはしっかり反映されている。
グラフィックの担当者いわく、「物を見ることしかできず武装としては意味を成さない双眼鏡を持っているのは、雪風が数多くの艦が沈むところを見てきたため」らしい。
明るいキャラの雪風だが、その双眼鏡は涙で濡れているのかもしれない。
終戦後は武装を全て外して、復員輸送艦となる。
1946年までで15回の復員輸送任務を遂行し1万3千人以上を運んでいる。その中には後に漫画家として有名になる水木しげるもいた。彼の作品「駆逐艦魂」に出てくる駆逐艦「旋風」は「雪風」がモデル。
その後、戦時賠償艦として連合国に引き渡される。乗組員たちは引き渡される寸前まで入念に整備を行い、連合国側からは「敗戦国の軍艦でこんなにも見事に整備された艦を見たことがない」と感嘆された。
中華民国に引き渡された後は「丹陽(タンヤン)」と改名。中華民国海軍の旗艦として行動した。
改名の理由は、当時の陰陽思想で「雪」も「風」も陰に属するので縁起が悪かったらしく、陽に属する「丹(赤)」と「陽」になったみたい。
1965年まで旗艦として活躍するが老朽化によって退役。旧乗員が中心となって結成された「雪風永久保存期成会」の活動などもあり、日本への返還がなされる一歩手前まで行ったが、1969年の夏に暴風雨によって鑑底の破損などもあり、解体処分となった。
その後、1971年に舵輪と錨のみが返還され、江田島の旧海軍兵学校に展示されている。
ちなみに、終戦後から十数年後に復興を果たした日本は再び軍艦の建造が認められ、戦後初の自国生産による護衛艦が建造された。
海上自衛隊にとって最初の護衛艦となった、はるかぜ型護衛艦の名前は「ゆきかぜ」。
この名が発表されたとき、旧海軍関係者や復員船となった雪風により祖国へ帰ることが出来た人々は皆「おかえり。」と口にしたそうだ。
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