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図鑑No.47 神通

公開日: : 最終更新日:2013/12/23 艦娘図鑑

艦これ 図鑑No.47 神通

川内型軽巡洋艦の2番艦。

艦名は岐阜・富山を流れる神通川から。

進水:1923年

全長:162,15m

全幅:14,2m

速力:35,3ノット

CV:佐倉綾音

 

台詞等から見る史実

神戸の川崎造船所で起工し、1925年に竣工・就役した。

竣工から2年後の1927年に島根県美保関沖での夜間無灯火演習中に駆逐艦「蕨(わらび)」と衝突事故を起こし、「神通」は艦首を喪失する大破、蕨は沈没した。

このとき神通を避けようとした後続の「那珂」も「葦(あし)」と衝突し両艦とも大破。

119名の死者を出し、責任を感じた神通艦長が自決するという痛ましい事件が起きている。

演習のあった場所から「美保関事件」と呼ばれる。

 

なお、この事故で喪失した艦首を修理する際に、艦首をスプーンバウから凌波性に優れたダブルカーブドバウに変更したため、神通と那珂の外見的な特徴となっている。

 

 

艦これでは「夜戦バカ」「艦隊のアイドル」の妹という濃い姉妹に姉妹に挟まれてちょっと影の薄い次女だが、史実では自己紹介の通り奮戦・活躍を見せている。

 

戦時下で最も長く第2水雷戦隊の旗艦を務めており、こう見えて実はかなりの武闘派。

第2艦隊は帝国海軍の編制上、前衛部隊として敵艦隊に真っ先に突入する部隊であり、第2水雷戦隊はその第2艦隊の中でも切っ先を務める部隊である。

そのため、第2水雷戦隊には常に最新鋭駆逐艦が集められ、ここに配属されることは人員・装備ともに最も名誉なこととされていた。

日本のみならず当時世界最強の水雷戦隊と謳われた最精鋭部隊であり、錬度も並外れて高く、異常なまでに高い攻撃力を有した部隊だった。

 

 

その第2水雷戦隊の旗艦として、ミッドウェー海戦や第二次ソロモン海戦などに参加している。

彼女の戦歴で最も有名なのはその最後となったコロンバンガラ島沖海戦

 

第2水雷戦隊の旗艦として後続の駆逐艦の雷撃照準を助けるべく先頭に立ち、探照灯による照射射撃を敢行。もちろん敵艦隊から見れば絶好の的であり、軽巡3隻から合計2600発あまりの集中砲火を受け沈没した。

しかしそれにより味方艦への砲撃は殆ど無く、第2水雷戦隊はほぼ無傷のまま接敵することができた。

雷撃により、敵駆逐艦1隻を撃沈、軽巡3隻と駆逐艦2隻を大破させた(駆逐艦二隻の大破は、魚雷を回避しようとして衝突したのが原因)。

 

上記のように自ら身を挺した神通だが、ただ囮になっていただけではない。

大破炎上しながらも反撃で7本の魚雷を発射している。敵軽巡の1隻を大破させた魚雷のうち一本は、神通が発射したものと言われる。

更に大爆発で真っ二つになったものの、沈没の瞬間まで生き残った砲のみで絶えず砲撃を続けるという凄まじい戦いを見せる。

 

 

後のアメリカ戦史研究家から「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」という賞賛をうけた。

米軍資料に拠ると、「神通」は艦首以外が沈没した状態で2時間以上も1番砲のみで砲撃を続けていたらしく、この時の奮戦ぶりと武勲に対して畏敬を持って賛辞が送られている。

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