【1945年 北号作戦】 奇跡の無傷での帰還。日本海軍最後の成功作戦。
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主要海戦・作戦
ここから1945年。いよいよ戦争末期へ。
1945年 北号作戦
●概要
北号作戦(ほくごう/きたごう さくせん)とは、1945年2月10日から20日にかけて行われた日本軍の撤収、及び輸送作戦。日本海軍の歴史において、事実上最後の成功を収めた作戦。
航空戦艦「日向」「伊勢」軽巡「大淀」擁する第四航空戦隊及び駆逐艦3隻によって実行された。
制海権もなく、半年前には同様の航路で輸送船団が全滅しており、極めて危険な作戦、司令部は成功の見込み無し、半数損失は覚悟、最悪の場合は全滅と予想していた。
しかし、予想に反して、まったく損害を受けずに完全な成功を収めたことで、キスカ島撤退作戦と同様に「奇跡の作戦」などと評される。
●内容
第四航空戦隊の戦艦「日向」、「伊勢」と、軽巡洋艦「大淀」、第二水雷戦隊の駆逐艦「朝霜」、「初霜」、「霞」で構成。旗艦日向。
上記のように、成功の見込みなしとされた当作戦だが、司令官の松田千秋少将より、「任務を完遂する」と言う意味を込めた「完部隊」と部隊は命名された。
航空燃料用のガソリン・生ゴム・錫などの当時稀少な物資を、航空戦艦に改装したものの搭載機のなかった日向・伊勢の格納庫を中心に詰め込んだ。詰め込んだ物資は可燃性が高く、僅かな被弾も許されない状況であった。
暗号も完全に解読されていたため、アメリカ軍はこの作戦を察知。途中、航空機からの爆撃や潜水艦からの雷撃を受けるものの、スコールの発生や各艦の臨機応変な対応、また同地に展開していた機動部隊が硫黄島攻略戦のために不在だった事も有り、奇跡的に全艦無傷で呉に到着することが出来た。
「半数でも戻ってくれば上出来」とされていた予測に反し、全艦無傷で無事帰還したことに司令部は狂喜乱舞したという。
本作戦は連合国軍にとっても意表を突かれた結果であり、戦後、松田少将がアメリカ海軍第七艦隊の参謀へ本作戦について訊ねたところ「いや、あれはすっかりやられた」という答えが返ってきたらしい。
●結果
こうして全くの損害を受けずに成功した当作戦が、太平洋戦争において、日本が成功を収めた最後の作戦となる。
また、作戦自体は成功したものの、当然専用の輸送船でもない艦による輸送作戦だったため、物資の量としては中型貨物船1隻分に過ぎなかった。
この程度の量の物資の輸送に成功したことを狂喜せねばならないこと自体が、当時の日本の窮状を示していたと言える。
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