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【1944年 マリアナ沖海戦】多数の航空戦力を喪失。事実上の機動部隊壊滅

公開日: : 主要海戦・作戦

1944年代に入ります…。

マリアナ沖海戦

マリアナ沖海戦

 

●概要

1944年6月19日から6月20日にかけてマリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で行われた空母機動部隊の戦い。航空機同士の戦いが主体となった。

マリアナ諸島に侵攻した米機動部隊の撃滅が主な作戦目的だった(「あ号作戦」)。

アメリカ軍側の呼称はフィリピン海海戦(Battle of the Philippine Sea)。アメリカ側の作戦名は、海上作戦を含むサイパン島攻略作戦全体についてフォレージャー作戦(「掠奪者作戦」の意味)とされていた。

日本は「アウトレンジ戦法」による航空作戦を行うが、アメリカからマリアナの七面鳥撃ち(Great Marianas Turkey Shoot)と揶揄される一方的な敗北となり、日本海軍は空母3隻と搭載機のほぼ全てに加えて出撃潜水艦の多くも失う壊滅的敗北を喫し、空母部隊による戦闘能力を喪失した。

 

 

●内容

1943年代後半になると、アメリカ軍は中部太平洋での攻勢を本格化。

この状況を受けて空母機動部隊である第一機動艦隊と第一航空艦隊を主力とする基地航空隊によって撃破するという作戦を立てた。この決戦想定作戦を「あ号作戦」といい、あ号の「あ」はアメリカの「あ」である。

 

機動部隊を率いる小沢治三郎中将は、日本海軍の艦載機の特徴である航続距離の長さを活かし、アメリカ軍艦載機の作戦圏外から攻撃部隊を送り出すアウトレンジ戦法を実行した。

しかしレーダーに誘導された戦闘機による迎撃によりそのほとんどが米機動部隊に近づく前に撃墜され、またVT信管を使用した(使用率20%)対空弾幕の増強により、わずかに残った日本の攻撃隊は次々と撃墜された。

さらに当時すでに多くの熟練パイロットを失っており、開戦時のエースパイロットやベテランの熟練者達の持つ技量で行うことを前提にしたアウトレンジ戦法はほぼ不可能に近かった。

こうしてたやすく撃ち落とされる日本側の艦載機をアメリカ側では「マリアナの七面鳥撃ち」と呼んだ。また、日本海軍の空母が相手との距離を縮めないように同じ海域に留まっていたため、次々と敵潜水艦の餌食となってしまった。

この戦いで大鳳翔鶴飛鷹という数少ない正規空母とそれに準ずる空母3隻を失った他、参加航空兵力の3/4以上となる378機もの航空機の損失により第一機動艦隊は事実上壊滅、日本海軍は二度と機動部隊中心の作戦を行う事ができなくなった。

また、この後「絶対国防圏」の要ともいえるサイパン島を失ったことで、戦局の挽回や有利な条件で講和を結ぶ可能性は完全に失われた。

 

 

●敗因

1,前述のように搭乗員の技量不足が挙げられるが、その技量を無視した無謀な作戦を実行した艦隊司令部の指揮官にもある。

 

2,戦力差。

そもそも生産力に大きな差があり、日本側はこの海戦に航空兵力の全てをつぎ込んでいたのに対して、アメリカ側はなおも多くの空母を残していた。さらに建造中の空母もあり、この時期にもなるとその差が埋めようのないものとなっていた。

この海戦での航空戦力を見ても日本側の498機に対しアメリカ側901機もの差があった。

 

3,兵装

開戦当時は無敵を誇った零戦もこの時期にもなると旧式化・陳腐化していた。

後継機「烈風」の配備が遅れていた日本に対して、アメリカは高性能な後継機(F4Fワイルドキャットからの)F6Fヘルキャットを主力に据えており、その性能差は熟練パイロットであっても埋めるのは困難だった。

さらにこの時期になるとアメリカ海軍機動部隊は、レーダーと航空管制を用いた防空システムを構築していた

1943年末くらいからVT信管を高角砲弾に導入したことも大きく、これは対空砲弾が命中しなくても目標物近く通過さえすれば自動的に砲弾が炸裂するというもので、従来の砲弾に比べて対空砲火の効果は概ね3倍程度と(アメリカ軍は)評価している。

日本軍でもアメリカ艦隊の対空防御能力を「敵艦艇の対空火力は開戦初期はパラバラ、その後火ぶすまに変わり、今やスコールに変わった」として、これまでのような方法でアメリカ空母を攻撃しても成功は奇蹟に属すると考えるようになった。

 

 

●参加兵力

第一機動艦隊(正規空母3、改造空母6 搭載機零戦225機、彗星艦爆99機、九九艦爆27機、天山艦攻108機、九七式艦上攻撃機、二式艦上偵察機、498機との説あり)

第三艦隊
司令長官:小沢治三郎中将、参謀長:古村啓蔵少将 旗艦:空母大鳳
本隊・甲部隊
第一航空戦隊(小沢中将直率)
空母:大鳳、翔鶴、瑞鶴
第五戦隊(橋本信太郎少将)重巡:妙高、羽黒
第十戦隊(木村進少将) 軽巡:矢矧
第十駆逐隊:朝雲、(風雲)※風雲は6月8日沈没
第十七駆逐隊:磯風、浦風、(雪風、谷風)※雪風はタウィタウィで対潜掃討中触礁損傷により全力発揮不能、補給部隊護衛へ。谷風は6月9日沈没)
第六十一駆逐隊:初月、若月、秋月
付属:霜月
本隊・乙部隊
第二航空戦隊(城島高次少将)
空母:隼鷹、飛鷹 小型空母:龍鳳
戦艦:長門、重巡:最上、
第四駆逐隊(第十戦隊):満潮、野分、山雲
第二十七駆逐隊(第二水雷戦隊):時雨、五月雨、(白露)※白露は6月15日、味方タンカー清洋丸と衝突沈没
第二駆逐隊(第二水雷戦隊):秋霜、早霜(ダバオから補給部隊を護衛した後合流)
第十七駆逐隊(第十戦隊):浜風(ダバオから補給部隊を護衛した後合流)
第二艦隊
司令長官:栗田健男中将、参謀長:小柳富次少将 旗艦:重巡洋艦愛宕
前衛部隊
第一戦隊(宇垣纒中将)
戦艦:大和、武蔵
第三戦隊(鈴木義尾中将)
戦艦:金剛、榛名
第三航空戦隊(大林末雄少将)
小型空母:瑞鳳、千歳、千代田
第四戦隊(栗田中将直率) 重巡:愛宕、高雄、鳥海、摩耶
第七戦隊(白石萬隆少将) 重巡:熊野、鈴谷、利根、筑摩
第二水雷戦隊(早川幹夫少将) 軽巡:能代
第三十一駆逐隊:長波、朝霜、岸波、沖波
第三十二駆逐隊:藤波、浜波、玉波、(早波)※早波は6月9日沈没
付属:島風
第一補給部隊:速吸、日栄丸、国洋丸、清洋丸、名取(パラオより合流、19日に分離)、夕凪、初霜、響、栂
第二補給部隊:玄洋丸、あずさ丸、雪風、卯月、満珠、干珠、三宅、第22号(満珠以下は海防艦。海防艦はギマラスで待機)

第一航空艦隊 第五基地航空部隊
司令長官:角田覚治中将 参謀長:三和義勇大佐
第二二航空戦隊
第二三航空戦隊
第二六航空戦隊
第六一航空戦隊

ほとんどヤップ島、グアム島の航空部隊でサイパン島、テニアン島の航空部隊は空襲で壊滅

守備隊30000人
参加兵力参照→マリアナ沖海戦 – Wikipedia http://p.tl/3Zyy

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