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図鑑No.131 大和

公開日: : 最終更新日:2014/01/14 艦娘図鑑

艦これ 図鑑No.131 大和

「大和」は大和型戦艦の1番艦。

進水:1940年

全長:263,0m

全幅:38,9m

速力:27,46ノット

CV:竹達彩奈

 

台詞等から見る史実

軍艦に詳しくない人でもその名くらいは知っているであろう史上最大の戦艦「大和」。

建造にあたってのコンセプトは「数造れないなら最強の戦艦を造ろう」で完成したのが大和型。妹に「武蔵」と空母への改装がなされた「信濃」がいる。(4番艦111号艦は途中で解体。)

46cm主砲に、他の追随を許さぬ過負荷最大出力16万8000馬力、さらには自分の主砲が直撃しても耐えられるという超重装甲というハイスペックだった。

自己紹介の通り、極秘に建造されたため、存在そのものを知る者も少なく、またスペック等も偽っていたため海軍人でもその多くが、真のスペックを知らなかった。(秘匿のために予算を架空の陽炎型や伊号潜水艦建造の予算に紛れ込ませたりもしている。)

 

スペックに比例してその運用も高負担。

一隻建造するだけで一個艦隊を余裕でぶっちぎる予算が吹っ飛び(大和型一隻の建造費用は、現在の価値に直すと約2兆5000億円)、動かすとさらに燃料が消し飛ぶ。

動かさなければ問題ないかと思いきや、弾薬庫内の適温維持などに主機を動かす必要があるため、結局吹っ飛ぶ。

ゲームでの消費も同様で、史実上で海軍が出撃を躊躇した理由は艦これプレイヤーなら身を持って知る事ができる。

そのため「大和ホテル」などというアダ名が実際につけられていた。これは艦歴のほとんどを泊地での停泊で過ごしたことや、その居住性が高かったことから付けられている。

ゲームでの台詞にもホテルであることを気にする台詞が多くみられる。

ちなみに、砲術士官達はここで砲術の勉強会を開いており、彼らからは「大和大学」と呼ばれていたらしい。

結局まともに参加したのは、戊一号作戦(輸送作戦)、中止になった渾作戦(ビアク島援護作戦)、レイテ沖海戦、菊水作戦だけである(史実に関しては後述)。その真価を発揮できないまま沈んだ悲劇の艦だった。

 

 

艦これでの彼女は、控えめで淑やかな性格。長い黒髪に桜をモチーフとした髪飾りに特徴的な傘など、文字通り「大和撫子」といった感じ。

このイラストに関してだが、物凄く細部まで史実に基いて表されており、かなりすごい。

例えば一部だが、

・傘→三本マストを表現

・右の靴下がゆるい→被弾が集中した左舷のダメコン対策で右舷に注水していたため右だけゆるい。逆に被弾の多かった左足は隠されている。

・太ももと左手の弾→九一式徹甲弾

・桜の髪飾り→海軍の腕軍帽には桜に錨のデザイン。頭についた電探を錨に見立てると(桜と合わせて)日本海軍を表す。

・左腕→腕章っぽいのはZ旗。

・中破で分かるパット九一式徹甲弾の弾頭→三重装甲構造を表現

などなど。

改装後については大和改の図鑑で。

 

 

史実では、前述の通り、出撃の機会はほとんどなかった。

レイテでは突入の機会を与えられながらも「謎の反転」(いわゆる栗田ターン)により僚艦の武蔵を失いつつ本国へ退却した。

最後となったのは菊水作戦(天一号作戦)。当作戦は米軍の沖縄(本土)上陸を受けての特攻作戦であり、大和の司令官も最初は無駄死であると納得しなかったが、要するに、一億総特攻のさきがけになっていただきたい、これが本作戦の眼目でありますの言葉についに頷いたという。

昭和20年4月、軽巡「矢矧」、駆逐艦8隻と共に沖縄へ出撃。

砲撃戦を回避し航空機での攻撃を決断していた米機動部隊からの波状攻撃を受けて、横転・爆発して沈んだ。

この時の米機動部隊はまさに波状攻撃であり、その空母11隻、艦載機386機の攻撃であった。

大和は推定でも500ポンド爆弾および1000ポンド爆弾合わせて8発、魚雷11発命中していたという。

 

 

終戦直後、図面などの物的資料は大半が処分されてしまったが、技術者達と彼らが持つノウハウだけは確実に残された。事実、戦後いち早く復興の旗手になったのは造船業界であり、外国からの発注が相次いだ。

その理由は「日本には大和型戦艦を造った高い技術力があるからだ」というものだった。

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