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【1942年 サボ島沖海戦】致命的な誤認「ワレアオバ」。初の夜戦での敗北

公開日: : 主要海戦・作戦

「ワレアオバ」で有名な海戦。

サボ島沖海戦

サボ島沖海戦

 

●概要

第二次~第三次ソロモン海戦の間、10月11日夜に起きた海戦。

ガダルカナル島への物資支援と敵飛行場砲撃の為に重巡3、駆逐艦2からなる第6戦隊と、日本軍を察知し迎撃に出ていた当時新兵器であるレーダーを装備した米水雷部隊との海戦。

ちなみに、連合軍側の呼称はBattle of Cape Esperance (エスペランス岬沖海戦)であり、日本軍側が第一次ソロモン海戦と呼称する海戦のことを連合軍側は「Battle of Savo Island」(サボ島沖海戦)と呼んでいる。

 

 

●内容

日本軍はアメリカ軍との戦闘が続くガダルカナル島に対する重火器の輸送を企図し、その支援のため第六戦隊を基幹とする艦隊をガダルカナル島近海に送り込み、ヘンダーソン飛行場の砲撃を計画。

一方、アメリカ軍も航空偵察によって察知しており、艦隊をガダルカナル島近辺に進出させていたため、両艦隊の間に戦闘が発生した。

 

道中、艦隊は大規模なスコールに遭遇。このスコールが去ったあと見張員がガダルカナル島手前にアメリカ艦隊を発見した。

しかし、旗艦青葉の五藤少将はこれを味方輸送隊と誤認するという致命的なミスを犯す。

同士討ちを恐れ対応は後手にまわり、警戒のための之字運動も命じずに艦隊を直進させつつ、敵味方確認の為に発光信号で確認を取らせた。

これが敵艦隊であると気づいたときには時既に遅く、この直後アメリカ軍は旗艦「青葉」に探照灯照射と先制攻撃を行い、青葉は集中砲火を浴びた。

陣形はアメリカ軍にとって理想的なT字隊形となっており、日本軍は完全に出鼻を挫かれた。

この時点になっても未だに五藤少将は同士討ちを信じて疑わず「ワレアオバ、ワレアオバ」と敵艦隊に発光信号を送り続けさせた。

(ちなみに、理想的隊形で先制奇襲に成功したアメリカ軍であったが、内情は日本軍同様に混乱していたりする。)

 

この戦いで最初に集中砲火を浴びた青葉は大破、敵味方識別のため近づいた吹雪は沈没、敵艦隊と青葉の間に割り込みかばいながら応戦した古鷹も沈没、また、戦闘後救援に来た駆逐艦2隻「叢雲」「夏雲」を空襲にて喪失した。

別行動のおかげもあり輸送作戦自体は成功したが、日本海軍のお家芸である夜戦で勝利を収めたアメリカ軍はこの作戦以降、夜戦をあまり恐れることが無くなったという。

 

 

●海戦後

第六戦隊司令官五藤存知少将は翌早朝、退却途上の艦上にて出血多量により戦死したが、最後まで同士討ちを受けたと信じていたと言われている。

「信じていた」というとなんだか綺麗な事のようであるが、実際は、「第一次ソロモン海戦で完敗した夜戦で米軍が挑んでくるわけがない」という油断と慢心が判断を誤らせた。

(連合艦隊参謀長宇垣纒少将は自身の日誌、「戦藻録」で第六戦隊司令部は警戒心が無さすぎ、この戦いは衣笠一隻で戦ったようなものだと、判断ミスを犯した第六戦隊司令部に対して手厳しい批判を書き記している。)

・・・当時の戦況を仄聞(そくぶん)するに無用心の限り、人を見たら泥棒と思へと同じく、夜間に於(おい)て物を見たら敵と思へと考へなく、一、二番艦集中攻撃を蒙(かうむ )るに至れるもの、殆ど衣笠一艦の戦闘と云ふべし。— 宇垣纒、戦藻録

 

上記のように作戦自体は成功したのだが、この戦いは日本軍が得意とした夜戦でアメリカ軍が勝利した初めての戦いであり、アメリカ軍は以後レーダーの利用について自信を持つことになる。

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