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図鑑No.163 まるゆ

公開日: : 最終更新日:2014/03/07 艦娘図鑑

艦これ 図鑑No.163 まるゆ

建造期間:1943~1945

CV:能登麻美子

三式潜航輸送艇(さんしきせんこうゆそうてい)は、日本陸軍の潜水艦。通称のまるゆ(○の中に「ゆ」と書く)で知られる。1型と2型があり、主に輸送任務で用いられた。

 

台詞等から見る史実

2013/12/24より実装された”大型建造“と共に実装された艦娘。陸軍からの参戦で、大型建造ならどの値でも出る可能性があるっぽい。運営曰く”ハズレ的に出てくる。”

性能は分かりやすく言えば、艦これ界のコイキング。装備スロットなしの完全非武装(改造でスロット1)、ステータスは全艦の中でも最低値。戦力としては期待出来ない。

ただし、近代化改修の素材とすることで「運」を上げる事ができる。

さらに燃費は1戦闘(2目盛)2/1とトップの低燃費であり、遠征(キラ付けが難しいが)や潜水艦としてのデコイとして優秀。特に遠征の「20.潜水艦哨戒任務」は鉄の時給がかなり良い任務なので、大型建造で溶かした鉄を回復させる際に「まるゆ」に行ってもらうのも手。

 

 

史実での彼女について。

そもそもなぜ陸軍が潜水艦を持っていたかだが、ガダルカナル島の戦いで、日本陸軍が補給に苦しんだことがきっかけである。

ざっくりした経緯は、

陸軍「ガダルカナルに上陸した兵士に補給物資送ってほしいんだけど」
海軍「米帝の攻撃が激しくて無理。鼠輸送も満足にできないし」
陸軍「潜水艦使えば敵にばれずに輸送できるくね?」
海軍「そういう艦じゃねえからこれ! そんなことより艦隊攻撃やりたい」
陸軍「お前らの方から泣きついておいて、前線の兵士を見殺しにするのか!」
海軍「そんなに言うなら自分達でやれよ!波号潜水艦やるから」
陸軍「海軍の指図も施しも受けるか!もう俺らで潜水艦作るからな!

 

こんな感じ。ちなみに高速の駆逐艦で行う輸送が「鼠輸送」、潜水艦での輸送を「モグラ輸送」と呼び、彼女の台詞でも「モグラ」という言葉が多く見られる。

実際、海軍からの供与を拒否した理由は、上記のような意地もあっただろうが、海軍に潜水艦運用の権限を握られていると、艦隊決戦にその戦力は割かれ輸送計画の自由度が狭められるため

 

こうして、陸軍による潜水艦の建造が始まった。

いらぬ摩擦を起こさぬよう海軍に内密で開発を開始したため、この潜水艦の存在は秘匿され、設計開発は陸軍が独自に行った。

海軍工廠を使わないのは当然として、造船所は海軍の予約でいっぱいだったため、民間のボイラー工場・製鋼所に製造を依頼。

さらに民間の潜水艇開発者に助力して貰ったり、戦車用の鋼材を転用して船体にしたりと独自の道を行った。

最終的には海軍も計画を察知して、「海軍の邪魔をするでも無いし、陸軍が独自の輸送力も持てば海軍としても楽になる」という理由であれこれ協力してくれたようだ。

そしてついに1943年10月その第一号が完成。

 

 

同年12月、満を持して陸軍は海軍関係者も招待して潜航試験を実施。結果、沈んだ

潜航艇の中の人「ん? おっと、トリムの調整が難しいな。うまく潜れないな…っと、ようやく潜れたかな? …ん?」
海軍「(ざわ…ざわ…)」
陸軍「見ろ!ちゃんと潜航したぞ! やったー!」
海軍「…いや、ちょっと待て、あれ沈んでるだけだろ!?」

まさかの沈没。海軍関係者は沈没したと騒然となる横で、陸軍一同は潜水成功と勘違いし、満面の笑みで万歳三唱する有り様だった模様。

入渠時の台詞はこの時の浮沈制御が上手く行かなかったことに由来する。

なお乗員は無事救出された。

 

海軍へのお披露目こそ失敗したものの、第一号の公開実験により潜航・浮上を伴う任務遂行は一応は可能であると判断され、その後民間4社にて原設計から様々な改良を加えながら量産開始、38隻が1型として建造された。

その後も水漏れや機関不調、必要な計器が揃ってなかったり、トイレがなかったりと不具合や不備だらけではあったが、それでも、モグラ呼ばわりされつつ健気に地味な任務を遂行し続けた「まるゆ」のお陰で飢餓や物資窮乏から救われた将兵は少なくなかったという。

「まるゆ」が搭載できる物資の量は米換算で24トン。これは2万人の1日の食事を賄える量である。

 

自己紹介での木曾との云々は、マニラでのエピソード。

マニラ港にて、そのあまりにもお粗末な操艦と航走する様を見かねた木曾から、「お前誰だ?潜れるのか?(意訳)」と、まともに味方扱いされていない打電を受けたことに由来。

そんな二人だが艦これでは仲良くなっているようで、木曾がまるゆにカレーの作り方を教えていることが21時の時報で分かる。

また、このマニラへ向けての出撃中、台湾沖で米潜水艦に発見されてしまった…のだが、白昼堂々日の丸を掲げて浮上航行という潜水艦としては有り得ない行動を行っていた為、米潜水艦も理解に苦しみ、監視するのみでスルーしたという冗談みたいな逸話があったり。

 

さらに、日本郵船の「伊豆丸」からも敵と間違われて体当たり攻撃を受けている。双方とも大した損傷はなかったが、相手の船員はこっぴどく叱られたそうな。しかし門司海軍武官府からは「(陸軍に対する)見上げた敢闘精神である」と褒められている。

また、海軍の輸送艦からも同じく敵と間違われたが、特に何もしてこないのでそのままスルーされたこともある。

 

最後にもう1つ逸話を。

1945年4月、訓練中のまるゆが、沖縄へ最後の出撃中の大和に登舷礼をしている。艇長曰く「一度でいいからやってみたかった」らしい。

もちろん正式の作法など知らず、乗員一同を整列させて艇長が軍刀を引き抜き「かしらぁー、右ッ!」と号令をかける陸軍式の無骨な敬礼であったが、対する大和は真っ白な軍服に身を包んだ百人単位の乗員が整列し、ラッパ吹奏付きの登舷礼を送ってきた。

たった300トンのまるゆへ7万トンの世界一の戦艦が礼儀を尽くしてくれたことに、まるゆの乗組員は感動し思わず涙を流したそうだ。

…で、その直後に大和が航行する際の大波を被り、彼らは揃ってひっくり返されずぶ濡れになったというオチもついている。

 

艇長のはそれ以来すっかり海軍贔屓になるのだが、お偉いさんが来た時に思わず海軍式敬礼をしてしまった結果、大目玉を喰らって左遷された。

この時、昭和20年8月6日午前6時、久留米歩兵部隊に左遷される横で、将校仲間4人は広島の船舶司令部へ栄転、嬉しそうに広島駅で下車していく仲間たちをがっかりしながら見送ったのだが…

このわずか2時間後に起こる惨劇は誰もが知っての通りである。

 

 

以上のような多くの珍(?)エピソードはあるものの、上述の通り、彼女の輸送のおかげで助かった人も多い。

ちなみに陸軍だからか、彼女はプレイヤーのことを「隊長」と呼ぶ。

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コメント一覧

  1. 名無し主義の提督さん より:

    三式潜航輸送艇はある意味凄い事だと思う、何も知らない「事実陸軍にあまり関係ない」状態で当時、海上戦で最先端だった潜水艦を全く関係ない物を製作生産運用、そこが凄い事だと個人的思う電車、戦車ぐらいしか造らない会社潜水艦だからねここが日本技術なのかなと感じる次第ですあと予算も厳しいかった事も考慮すると技術的に凄い事だと思います、やっぱりこの時代も日本人は凄かったと言える思います

  2. 名無しさん より:

    伊豆丸の件は陸軍への当てつけというよりは、潜水艦が如何に輸送船舶にとって危険な存在であるか解っていた故の賞賛だと思いますよ。

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