【1941年 マレー沖海戦】 大艦巨砲主義の終焉と航空機の有効性
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主要海戦・作戦
主要海戦その2。今回はマレー沖海戦について。
マレー沖海戦
●概要
1941年(昭和16年)12月10日、マレー半島沖で日本海軍航空部隊とイギリス東洋艦隊とのあいだで行われた海戦。
日本軍はイギリス海軍が東南アジアの制海権確保の為に派遣した戦艦2隻を撃沈し、この方面での初期作戦上で大成功をおさめた。
また、当時の「作戦行動中の新式戦艦を航空機で沈めることはできない」との常識を覆した海戦であり、大艦巨砲主義の終焉を告げる出来事として海軍史上に刻まれている。
●内容
真珠湾攻撃の衝撃も冷めやらぬ中、東南アジアの制海権確保のため派遣されたイギリスの東洋艦隊を日本海軍の陸上機部隊が攻撃。
戦果として戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ(PoW)」、巡洋戦艦「レパルス」を撃沈している。
上記のように、大艦巨砲主義の終焉と現代における航空機の有効性を決定づけた海戦だったといえる。
これを戦訓に各国は、各種艦船に装備されている対空火器を改めて大幅に増強を始めた。
また、航空機が戦艦を沈める事が可能であるなら、当然だが航空機による戦艦の護衛は必須となり、地上基地の航空部隊の行動圏外では戦艦を始めとする水上部隊は、敵側に航空戦力が存在する状況ではもはや空母なしで単独では行動できなくなってしまった。
マレー沖海戦以後は、各国海軍は航空支援なしに戦艦を出撃させることに極めて慎重になる。
一方で、日本海軍航空隊が沈めた航行中の戦艦は本海戦における「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」のみであり、米軍航空隊も大和型戦艦「大和」と「武蔵」の2隻にとどまった。
この大和型2隻の場合も、日本軍側に航空機の護衛が1機もないという特殊な事例であり、実際は作戦行動中の戦艦撃沈の難易度も証明しているとも言える。
●戦力
九六式陸攻59
一式陸攻26
●余談
「PoW」が航行不能に陥った際に艦長のジョン・リーチ大佐と乗艦していた英軍指揮官トーマス・フィリップス大将は参謀からの退艦要請に対し「ノーサンキュー」と答え、艦と運命を共にした。
昔から英国海軍を模範としていた日本海軍はこの話に影響を受け「艦長は艦と運命を共にする」という慣習が広まったとも言われている。
また、イギリスはこの敗戦により制海権を失った後、2か月後のシンガポール陥落(1942年2月15日)でイギリス陸軍は敗れている。
東南アジア征服の象徴・要というべきチョークポイントであるシンガポールを失うということは東南アジア支配の終焉を予感させるものとして、インドなど当時イギリスの植民地であった東南アジア各国の独立への機運に影響を与えた。
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