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図鑑No.209 早霜

公開日: : 新着情報

(※早霜ドロップor図鑑画像入手出来たら貼ります)

2014年8月8日開始の夏イベントのイベント海域ドロップにて入手可能。

夕雲型の17番艦。

先を切りそろえた腰まであるダルグレーの髪が特徴で、特に前髪は右が長く、顔の右半分がほとんど隠れている。

性格は低テンションと声が特徴の根暗っ子。かなり自虐的・自嘲的である。

その幸薄そうなオーラにより一部からは「小さな扶桑」と呼ばれていたりするらしいw

ただし根は親切でいい子であり、料理が得意。また、提督に対しては一見すると事務的な対応が多いが、料理を褒めてもらうとトキメイていたり、一緒にいないと不安になったり、潜在的にはかなり好意的である様子。

 

 

史実

図鑑説明文にもあるように、だいぶ押し迫ったころに生まれた。

1942年度(マル急計画)仮称第345号艦として舞鶴海軍工廠で1943年1月20日に起工、1944年2月20日に竣工。

この時期にはもはや駆逐艦へも十分な訓練を施せるだけの油がなく、わずか3ヶ月弱という凄まじい詰め込み訓練だったそうだ。第十一水雷戦隊で乗員の訓練を受け、5月10日にタウイタウイに向け出航。

 

6月19日のマリアナ沖海戦では乙部隊に合流し作戦に参加。初陣となった。

8月15日、秋霜(未実装)、清霜とともに第二駆逐隊を編成し、第二艦隊・第二水雷戦隊に編入された。

 

10月24日からのレイテ沖海戦に栗田艦隊に属して参加。そして25日、サマール沖海戦参加中に至近弾を浴びて損傷、単独回航を命じられる。回航中の26日、敵機に発見され波状攻撃を受けることとなった。

その頃、鬼怒の救援に向かっていた不知火が早霜を発見、救助のため接近してきた。早霜は「ワレ早霜、敵襲ノ恐レアリ、来ルナ」と信号を送ったが、不知火は救助活動を続行。早霜の悪い予感は的中し、作業開始直後に敵機が来襲。

離脱が間に合わずに不知火は爆弾が直撃。爆発と同時に大火柱が噴き上がり、全艦猛火に包まれつつ真っ二つに折れて轟沈するという凄惨な最期を遂げた。その凄まじい爆沈には脱出する暇もなく、不知火乗組員は全員戦死した。

続いて救援に来た藤波(未実装)もやはり空襲を受け沈没。同艦が前日救助していた鳥海乗員もろとも一人残らず戦死。

動けない早霜はそれらの光景を見つめる他なかった。その後、那智から発艦した水上偵察機が早霜を発見し着水。

 

乗員たちは陸上に2週間ほど放置されたのち、派遣された救助船によって生還。生存者のうち、残留員の田口大尉以下30名はセミララ島部隊を編成、米軍上陸後にマニラを目指したものの、
途中で現地民ゲリラと交戦し1名を残して全滅した。この1名もマニラへ辿り着いたことははっきりしているが、その後は消息不明となっている。

幾度もの空襲によって早霜の船体は蜂の巣と化し、再起不能の廃艦となってしまっていたため、放棄が決定。軍艦旗と暗号書類を焼き、船体はその場に置いて行かれた。のちに米軍が捕獲し調査しているが、その後どうなったかは定かではない。

艦これでの彼女の性格は、助けに来た艦が次々と目の前で爆沈・乗組員全滅の地獄を見たせいだと思われる。

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